雪林檎のブログ

認知症の母と障害者の姉と、そして離れて暮らす妹のわたし

今でも思うこと

最近女優さんが、64歳で原発不明ガンで亡くなられました。

わたしの父も、64歳で原発不明ガンで亡くなりました。


あれから5年。

もうすぐ父の命日です。


原発不明…

検査に2ヶ月かかり、結局原発巣は見つからず…


肺の周りに転移が多いから、肺を原発巣と仮定して、抗ガン剤治療を行います、という医師の言葉に、頷くしかなかった。


あの時、抗ガン剤治療をしていなければ、

父はもっと生きられたのではないか、

体が弱っていったとしても、自宅で、もっと穏やかに死を迎えられたのではないか、

今でも、そう思って苦しくなる事があります。


それでも前向きな治療をしなければ、

父にとってはもう死に向かっていると思わせることになる、

父が、


治療をするという事は、治る見込みがあるという事なんだな、


と、言うので、


もちろんそうだよ!


と、わたしは言うしかなかったです。



5年前の今頃は、は本当に辛い辛い毎日でした。

あれからもう5年。


大人になると、5年なんてあっという間に過ぎますね。

母も随分変わってしまい、辛い5年だったけど、


子どもたちは健やかに成長しています。

お父さん、見ていてくれるかな。

冬支度

今日は、母をインフルエンザの予防接種に連れて行きました。

姉は、昼間通っているグループホームで集団接種してもらえるので助かります。


それから今日は、暖房器具を買いに行きました。

灯油ストーブは危ないので、電気式のものを。


今朝、灯油ストーブをつけていたようで、少しひやっとしました。

灯油ストーブは、危ないからもう使わないようにしようね、と話していたのですが、もちろんそんな事はすぐに忘れてしまいます。


今日は電気式のものが買えたので、それをセットして、使い方も何回か一緒にやってみて、帰って来ました。


そしてその後は姉をグループホームに迎えに行って、一緒にコタツを買いに行き、お部屋にセットして来ました。


ふぅ〜。

あっという間に

もう10月も終わり。


実家では、台風で外回りに影響がありましたが、

それとは別にトイレの水が流れにくくなったり、

浴室の混合水栓が壊れて交換したり、

何かと修理に立ち会うことが多かったです。



そして昨日は姉が昼間通っているグループホームの保護者を集めた半期の報告会のようなものがあり、初めて出席してきました。


午前中仕事して、時間ギリギリになり、着いたらもう皆さん揃っていました。

他の方はやっぱり親御さんで、わたしは新顔で、年代も違うし、それでも皆さん優しくて、

だけどやっぱり居心地が悪いものでした。


以前は母が来ていたはず。

春に、母が急におかしくなって、ホームの先生と連絡を取って話をして、姉の事を市役所の担当の人と話したりして、バタバタしていたのが

夏前。


わたしが身元引受人になり、契約をしに行って、ホームの事務所で先生と色々話すうちに泣いてしまい、先生も一緒に泣いてくれて、先生達の温かさに救われました。

父が生きていた頃の話もしてくれました。

何だかんだ言って、父も定年後は姉の面倒を少しは見てくれていたらしく、そんな話が聞けてわたしはとても嬉しかった。


母の状態が良くなくて、姉の住み込みのグループホームを探している時も先生が一緒に行ってくれて、母から暴言を受けて傷ついている時も、


きっとお母さんが病気じゃなかったら、

ありがとうって言いますよ。

お母さんがやらなきゃいけない事を、あなたがやってくれているのだから。


と言ってくれました。その言葉がなかったら、

姉を実家から無理に連れ出す事は出来なかったんじゃないかと思います。

あの頃姉もおかしくなっていて、あのままほっておいたら2人はどうなっていたらわからなかった。


無理にでも2人を離したのは、今穏やかな母と姉を見ると間違っていなかったと思います。


春から夏頃は、必死でした。

朝起きても、毎日気持ちが暗くて、思考を停止してとにかく物事をこなす、というようにしていました。


気づいたら、もう秋、

冬支度をしなくては。


まだまだやる事がたくさんあって、

体力に自信がないわたしにとっては、休息もとりつつ体を壊さないようにやりこなさなければ、と思います。