雪林檎のブログ

認知症の母と障害者の姉と、そして離れて暮らす妹のわたし

この2ヶ月のこと

気づけばすっかり寒くなりました。

今年の異常な夏の暑さと、苦しみ悲しみを、わたしは生涯忘れられないでしょう。



この2ヶ月、色々な事がありました。



まずは姉をグループホームに入れるために色々動き、なんとか本入居にこぎつけました。


本入居までの体験でも、泊まりに行ってくれたと思えば、朝の5時にわたしの携帯が鳴り、いなくなりました、と。

結局、本人は散歩に出かけただけという事ですぐに見つかりましたが、わたしは平謝りでした。

それでも何とか本入居にこぎつけ、入居に必要なカーテンや、ベット、収納、テレビ、棚、当面の洋服など、姉と買いにいき、ベットは汗まみれになって組み立てました。



そしてその頃、母は、毎日怒っていて、電話攻撃の嵐でした。


姉が家を出た事で、姉を取られた、通帳も取られた、あの子(わたし)のせいで、自分はこんなに痩せてしまったと親戚に言って、わたしに連絡が来る始末。


夜中1時過ぎまでわたしの携帯が何度も鳴りました。

悪夢のような日々でした。



「認知症」「電話 」「しつこい」


と検索して出てくる対応策を調べると、

そのうち電話をかける事もできなくなります、

とあり、それならば今は耐えるしかないのだろうか、と思ったり。

それでもやっぱり気がおかしくなりそうでした。


その時は、ケアマネさんに連絡して話を聞いてもらうのが、わたしにとって救いでした。


明るくて面倒見の良いケアマネさんは、わたしの携帯番号を母の電話帳から消してくれ、ケアマネさんのいるケアセンターの電話番号をかわりに書いてくれました。

その後は携帯への連絡はなくなりました。


そして7月の終わりの受診で、担当医に状況を話し、薬を変えてもらうと、母の様子が少しずつ変わってきました。

怒りの感情が減ってきて、穏やかになって来たのです。


お盆には、父のお墓まいりにも行くことが出来、姉も一時帰宅が出来るようになりました。


母の感情が落ち着いた事で、わたしも気持ちが少し楽になりました。

でも逆に、物忘れやできる事がどんどん減って来ている気がします。


わたしは、感情的な母から逃げたい気持ちでいっぱいだったのが、母が穏やかになった事で、急に色んな現実を突きつけられた気持ちになりました。


そして、それからまた色々な事が起こります。

それはまた、書きます。