雪林檎のブログ

認知症の母と障害者の姉と、そして離れて暮らす妹のわたし

父が亡くなった日

お父さん、首にシコリがあるの。


と、母から連絡があったのは確か春先。


びっくりして、ネットで色々調べて、

とにかく病院行くように話して、


病院も、以前胃潰瘍で入院した病院から市立病院を紹介され、

そんな時に父の知り合いのお医者さんの紹介で都内の大学病院に行くことになり、

検査検査でどんどん時間が過ぎ、


主治医にはっきり言われたのは確か9月。


年単位での生存は難しい。


それから抗がん剤治療が始まり、

みるみるうちに弱っていってしまった。


11月に入って、次に医師に言われた言葉は、


来年の桜を見るのは難しい。

年を越すのが目標。


それからわずか数週間で

父は亡くなった。


朝だった。

病院で目が覚めて、母と歯磨きをしていたら、

看護師さんに呼ばれた。


亡くなる3日前はまだ意識があったけど、

せん妄が始まっていて、痛みで苦しむ父を押さえつけないといけない。

それでも最期は安らかだった。


父が亡くなる数ヶ月前、

まだ抗がん剤治療が始まる前、

父と母と3人でいた時に、

母が何かトンチンカンな事を言った事があった。


その時わたしは笑って、

お母さんの方が病気なんじゃないのー?

って言ったけど、

父はボソッと、


始まってるかもな…


と言った。


その時は、父特有の冗談かと思ったけど、

後から考えると、

その頃から母はおかしかったんじゃないか、

父は薄々気づいていたんじゃないかと。


母は、父の死がショックで、

その後の事は何も出来なかった。


葬儀で集まった遠くに住む親戚にも、

一度母を病院に連れて言った方がよいかもしれない、と言われた。


そして実際に数ヶ月後、

母を病院に連れて行って認知症の検査をしたものの、

その時はまだ診断はつかず、

軽度のうつ状態、という事だった。