雪林檎のブログ

認知症の母と障害者の姉と、そして離れて暮らす妹のわたし

気分転換に

少し前に、新大久保で買った、パックを。


母をショートステイに連れて行くことは出来ず。

今日も家の電話が何度もなっていたようだった。



夜帰宅して電話が鳴ったから出ると、

またお金の事で色々言われる。

言ってもいないことを。


パックして、

気分転換。

心を鬼にする

この何日か、色々あった。

とても疲れた。


母の状態が良くないので、

グループホームの体験入居が終わった姉を、

我が家に連れてきた。

昼間は通いのホームに行くのだけど、

我が家までは送迎のバスが来ないので、

職場に話して、私が送迎した。

理解のある職場には感謝。


姉が来た日、

母からの電話がすごかった。

母は姉の帰りをカレンダーで確認していたようで、

姉のために買い物に出かけていたらしい。

ケアマネさんがスーパーで見つけてくれて、

姉の体験入居が延びると話してくれ、

一応納得してくれたらしい。

ただし、そうすると今度は妹さんの電話が鳴るかも…と言っていて、

その言葉は的中した。


夕方から夜中まで、家電話と携帯が鳴り、

最初の2回は出て、通帳返せ、お金持ってこい、

だったので、

水曜日に持って行くね、と話して切った。


その後は、姉もいるのでもう出なかった。


姉は落ち着いていてくれたものの、

朝は4時過ぎに起きて掃除を始めた。

姉はとても繊細なので、言葉を選ばないといけない。

知的障害と、統合失調症を併発しているようで、

プライドも高く、こだわりが強い。

わたしはほとんど眠れないまま、

子どものお弁当を作り、朝食をみんなに食べさせ、姉を送り仕事に行った。


翌日、ケアマネさんに相談すると、

母の家に行って、

水曜日に次女がお金を持って来てくれる、

と書いて壁に貼ってくれ、

そうするとその日は電話が鳴らなかった。


でもまた今日は、朝から電話攻撃が始まった。

今日は、姉の荷物を取りに実家に行ったら、

母はまたわたしに攻撃的だった。

ケアマネさんの話によると、

お鍋も焦がした跡があったらしい。

キッチンはIHとはいえ、もう料理も厳しいのかな…


母は、わたしがお金をくれないから、

食べるものも買えなくて、こんなに痩せてしまったという…

お金はあるのに、ないと思っているらしい。


ケアマネさんと相談して、

ショートステイを利用することにした。

もちろん、母がすんなり行ってくれるとは思わない。

でも出来れば、なんとかショートステイで

ちゃんと栄養のあるものを食べて、

今度病院で薬も変わると思うので、

見守り体制の中にいてほしい。


姉も、昼間のホームでは暴れていたり、

泊りのホームでも泣いていたりしたらしい。


それでも2人のこれからのためには、

心を鬼にしてなんとかしなくちゃと思う。


姉の新しい生活のために、

カーテンやら色々なものを用意した。

お金もかかるし時間も取られる。

仕事も休んだり、眠る時間も削られる。

それなのに母に罵られる。

ふざけるなーわたしだって、

ほっておけるならほっておきたいよー


心の声が出てしまいそう。


でも今日は、

怒りよりも、

ショートステイに母を行かせる事について、

わたしは冷たい娘なんじゃないかと

久しぶりに涙が出た。


本当は、優しかったお母さんに

そんな事したくないのに。

自分の体がもう一つあったら良いのに。

でももういっぱいいっぱい。


途中で潰れる訳にはいかないから、

感情は押し殺して、

心を鬼にする。

父が亡くなった日

お父さん、首にシコリがあるの。


と、母から連絡があったのは確か春先。


びっくりして、ネットで色々調べて、

とにかく病院行くように話して、


病院も、以前胃潰瘍で入院した病院から市立病院を紹介され、

そんな時に父の知り合いのお医者さんの紹介で都内の大学病院に行くことになり、

検査検査でどんどん時間が過ぎ、


主治医にはっきり言われたのは確か9月。


年単位での生存は難しい。


それから抗がん剤治療が始まり、

みるみるうちに弱っていってしまった。


11月に入って、次に医師に言われた言葉は、


来年の桜を見るのは難しい。

年を越すのが目標。


それからわずか数週間で

父は亡くなった。


朝だった。

病院で目が覚めて、母と歯磨きをしていたら、

看護師さんに呼ばれた。


亡くなる3日前はまだ意識があったけど、

せん妄が始まっていて、痛みで苦しむ父を押さえつけないといけない。

それでも最期は安らかだった。


父が亡くなる数ヶ月前、

まだ抗がん剤治療が始まる前、

父と母と3人でいた時に、

母が何かトンチンカンな事を言った事があった。


その時わたしは笑って、

お母さんの方が病気なんじゃないのー?

って言ったけど、

父はボソッと、


始まってるかもな…


と言った。


その時は、父特有の冗談かと思ったけど、

後から考えると、

その頃から母はおかしかったんじゃないか、

父は薄々気づいていたんじゃないかと。


母は、父の死がショックで、

その後の事は何も出来なかった。


葬儀で集まった遠くに住む親戚にも、

一度母を病院に連れて言った方がよいかもしれない、と言われた。


そして実際に数ヶ月後、

母を病院に連れて行って認知症の検査をしたものの、

その時はまだ診断はつかず、

軽度のうつ状態、という事だった。