雪林檎のブログ

認知症の母と障害者の姉と、そして離れて暮らす妹のわたし

今朝の母

水曜日、比較的母は落ち着いていた。

ケアマネさんが来ていたからか、

通帳を預かる事についてはブツブツ言っていたけど…


姉がグループホームのお泊まりの体験に行く事も理解していて、

わたしが一緒に準備を始めると、母も部屋に入ってきた。


ただし今度は姉の状態が良くない。

恐らくこのところの母の感情失禁

(どうやら介護用語らしく、認知症の人が激しく泣いたり怒ったりする事をいうらしい)

に振り回されて、睡眠不足の様子。


姉が、眠い眠い、というのを何とかなだめて準備をしたものの、

大事な薬が見つからず、本人に聞いても、

わからない…と言うだけ。


あーもぅお手上げーーー

と思ったものの、そうだ、預かっている薬がある、

たまたま4日分、わたしが預かっている薬があったので、それに日付を書いて荷物に入れた。


ふぅー。




しかし…


翌日通いのグループホームに行った姉は、

わたしがせっかく用意したお泊まりのバックを持って行っていなかった。


恐らく夜になって、母がまたおかしくなって姉に当たったんだろう…


結局、姉のグループホームの担当の先生が、

荷物を取りに行ってくれて、

何とかお泊り体験には行く事が出来たものの、

その日の母の昼間の様子はかなりひどかった模様。


昼間来るヘルパーさんに当たり散らし、

帰ってくれと泣き叫んでいたらしく…


夕方、ケアマネさんが訪問した時は少し落ち着いていて、ケアマネさんが2時間くらいゆっくり話をしてくれたようだ。


そして今日、わたしは午前中仕事をお休みもらって、姉の病院に薬をもらいに行く事に。


ただし、肝心なものを忘れていた。


姉が病院に行くのにいつも持っていくノートみたいなものを持って来るのを忘れていた。


それで先程、実家に行ってきた。


すると母、朝からかなり怒っている。

どうやら泣きながら怒っていたようで、

わたしが行くと、

デイケアのクラスが、自分は70代なのに80代のクラスに入れられている、

お前のせいだ、と怒鳴りちらす。


じゃ、クラス変えてもらうように、

ケアマネさんに言っておくね〜と言っても

通じない。


実家に向かう途中でコンビニで塩饅頭を買ったので、

食べるー?と置いても、

そんなものいらない!

怒 怒 怒 怒 怒


じゃあ帰るね、

と言うと、


帰れーー

二度と来るなーー


と怒鳴られ…



あぁ一刻も早く、

姉をここから出さなければ、

と思った。




さて、

これから姉の病院へ。

実家へ

今日は実家へ行く日。

水曜定休なので、水曜はなるべく実家に行くようにしているけど、

最近は本当に憂鬱。


今日はケアマネさんと用事があるから、

ケアマネさんが来る時間に合わせて行くことにした。



昼間はグループホームに通う姉が、

住み込み型のグループホームへ体験で2回お泊りに行っている。

今回は3回目。それが明日からなので、

今日はその準備も一緒にやる予定。


姉は、母の不安定に振り回されて、

夜もあまり眠れない日があったりするようで、

姉の状態も心配。

姉がおかしくなると、わたしでは手がつけられなくなる。

そうなると、日頃通っているグループホームの先生にお願いするしかない。

グループホームの先生は、すごい。


妹のわたしより、ずっと姉の事をわかってくれていて、

あまりしゃべらない姉の気持ちをちゃんと引き出してくれる。



今回の体験、なんとか頑張って行ってくれますように…


今日の母の機嫌が落ち着いていますように…

母について

今日は少し時間があるので、

母について少し書きます。


母が病気になる前、どんな人だったか。


わたしから見た母は、

子どもの頃はそれなりに厳しく、

叱られた事もありましたが、

基本的には優しく、

家庭的な人でした。


厳しかったのは、わたしたちをちゃんと育てないと、という思いからだったと、自分が親になってわかります。


遊ぶ事には財布の紐は固かったけれど、

本だったり、勉強や習い事に関しては、

やりくりしてお金を出してくれる人でした。

父は会社員で、決して裕福だった訳ではなく、普通の家庭でした。



父に関しては、

真面目な会社員ではあったけれど、

外面がよく酒飲みで、ヘビースモーカーで、

酒が入ると人が変わり、

わたしとは相性が良くありませんでした。

いわゆる昭和の父で、

家庭の事はほったらかしな事が多く、

亭主関白だったと思います。

それでも転勤族で地方勤務だった時は、

それなりに遊んでくれたりもしました。


母は、社交的な父とは対照的で、

どちらかと言えば大人しく、

周りに気を使う謙虚な人でした。

周りの人に迷惑をかけたり、

意地悪な事をしたりする事は絶対してはいけないと思っていて、

たとえ自分がそうされても、

我慢強く耐えているような人でした。


それでも、出身は関西で、

基本的には明るい人だったと思います。


そんな母が、認知症を患い、

全く別人になりました。


本人が、一番辛いはず。


少し前、姉の病院に付き添った時、


お母さん、どんどん変わってしまうけど、

本当は優しいお母さんだったよね、

本当のお母さんの事、忘れないでいようね、


と話しました。


姉はぽろぽろ涙を流し、

車を運転しながらわたしも涙ぐみ、


認知症はなんて残酷な病気だろう、

わたしたちは、何も悪いことをしていないのに、

お父さん、なんで先に死んでしまったんだ、

一体どうしたらいいのだろう…



途方に暮れました。